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「型破り」という言葉は比較的よく聞く表現です。「あの人の考えは型破りだ」など、どちらかと言えば人を高評価する場合に使うのでしょうか。
医療でも昔から「型破り」な検査方法や薬が出ては、さらにまたそれを超える「型破りな」ものが出てくるのを繰り返してきたのでしょう。今のスマホも何年後かには指や声を使わなくても人間が心で思っただけで操作できるかも知れません。
「型破り」が全て良いとは限らないようです。基礎が無くては「型破り」はあり得ないのです。以下は著名人を含め多く人が感銘を得た、ある名言のエピソードです。
2012年に亡くなった歌舞伎の18代目中村勘三郎さん。あるテレビ番組のインタビューで自分の心に残る言葉を語りました。
勘三郎さんは「平成中村座」やニューヨークでの「シアターコクーン」など斬新な企画をし、歌舞伎を知らない僕でも彼はいわば「型破り」な人で、歌舞伎の伝統にこだわらない人だと思っていました。
しかし、彼は当初、こういう斬新な構想を師匠で父でもある17代目勘三郎さんに相談したところ、強く反対されました。落ち込んでいた17代目勘三郎さん。ある日、タクシーに乗っているとラジオで偶然「こども相談室」が流れていました。こどもからの質問は「型破りと形無しの違いはなんですか?」。それに答える無着成恭(むちゃくせいきょう。教育者で僧侶)は「基礎がしっかり出来ていて、そのうえで型やしがらみを打ち破ることが型破りで、基礎も何にも出来ていないのに、あれこれとやることを形無しと言うんだよ」と説明しました。 これを聴いた18代目勘三郎さんは「これだ!」と気付きました。自分はまだまだ歌舞伎の基礎ができていない。この未熟な状態でニューヨークでシアターコクーンなどまだまだ早い。彼はその後、歌舞伎の所作などの基礎を繰り返し練習し、歌舞伎の伝統的演目を徹底的に追求、練習に明け暮れましました。その後、晴れてシアターコクーン、平成中村座を実現したのです。「きちんと基礎を徹底的に身につけて、そのうえで、自分の個性を発揮することを型破りというが、基礎も会得する前に、勝手なことをやるのは形無しと呼ぶんだ」と周囲の人に語り続けます。ラジオで無着成恭さんの答えがよほど身にしみたのでしょうね。
勘三郎さんのこの発言で、「型破りと形無しの違い」が企業や芸能界、スポーツ界にも広がり、人材育成のコツとして、あるいは個人の座右の銘として取り上げられてきました。
医療界はどうでしょうか。「型破り」の検査や薬はあるのでしょうか?その前に症状や病気の基礎知識や今でも伝統的な診察手技や経験があってこその医療です。それを無視して勝手な検査や薬は「形無しの医療」です。
身近な診療でいえば、咳や鼻をピッタリ止める薬はありません。対症療法という症状に応じた薬はありますが、飲めば症状がゼロになる「型破り」な薬はありません。その前に問診、聴診・診察、患者の生活環境を考えるなど診察の「基礎」を重視すべきです。ひょっとしたら、どんな検査や強い薬よりも生活環境を変えた方が「型破り」の治療になる場合もあるのです。今の医療は問診・診察を軽視し、過剰な「検査・薬」に頼りすぎて「形無し」になっているのかも知れません。